上野展裕(うえののぶひろ)新監督の超攻撃サッカーがヴァンフォーレ甲府を救うか?16位に沈む甲府が吉田達磨解任。
J2ヴァンフォーレ甲府は吉田達磨(よしだたつま)監督(43)との契約を解除して、新監督にJ2レノファ山口などを率いた経験のある上野展裕(うえののぶひろ)氏(52)が就任したことを発表しました。
運命的ではありますが、5月3日のホームでのリーグ・レノファ山口戦(中銀スタ)から指揮を執ることになりそうです。
上野展裕(うえののぶひろのプロフィール
上野展裕(ウエノ ノブヒロ)
生年月日 1965年8月26日(52歳)
出身地 滋賀県甲賀市(旧甲賀郡信楽町)
身長 175cm 体重 70kg
サッカー選手(現役)時代
ユース時代は、滋賀県立膳所高等学校から、早稲田大学へ進学。大学時代からマリウス・ヨハン・オフト率いるマツダSC(現サンフレッチェ広島)のモダンなサッカーに魅せられており、卒業後はマツダでサッカーをやりたいという意志を持っていたものの誘いがなく、日本サッカーリーグ(JSL)1部の全日空サッカークラブ(横浜フリューゲルスの前身)に入団。
心残りがあり、必要な選手であるから残って欲しいという当時の監督加茂周の説得があったものの、Jリーグが開幕する前々年である1991年にはJSL1部のマツダSCに移籍。
現役時代はDF、守備的MFとして、ボランチでは森保一や小島光顕とポジションを争った。
サンフレッチェ広島で、リーグ戦での出場できず、1994年に現役を引退。
指導者時代
2002-2003 サンフレッチェ広島JY
2004 日本 U-18
2009-2011 ツエーゲン金沢
2012-2013 アルビレックス新潟 ユース
2012 アルビレックス新潟 (代行)
2014-2017 レノファ山口FC
2018 ヴァンフォーレ甲府
引退後は広島のトップチームや育成年代の指導者を歴任。
トップチームではエディ・トムソン監督のコーチ兼通訳として、ユースチームでは小林伸二監督のもとコーチとして活躍。ココらへんの出会いが、上野さんの指導者としての核になっていそうですよね。
2002年からは広島ジュニアユース監督に就任、2003年にはナイキプレミアカップジャパン優勝、森重真人・槙野智章・左山晋平・石田聖雄・平繁龍一・酒井貴政・横竹翔・兼田亜季重らを育てました。
サンフレッチェ広島ユースの黄金時代で、現役の日本代表も複数いますよねー。
2003年にJFA 公認S級コーチライセンスを取得すると、2004年、広島を離れ、関西地区ナショナルトレセンコーチ就任に伴い大津市内に転居、京都パープルサンガからのオファーを受け、2005年から京都の育成部門統括責任者に就任、アカデミーの整備および強化を行う。
2006年10月、トップチーム監督の柱谷幸一の解任をうけ、後任監督となった美濃部直彦のトップチームコーチを兼務。2007年からヘッドコーチに専念。
2007年10月、成績不振により美濃部から総監督(GM)職の加藤久に監督が代わったもののヘッドコーチとしてチームを支え、同年末にはJ1昇格を果たす。
2009年、北信越フットボールリーグ所属のツエーゲン金沢監督に就任すると、同年の全社準優勝により獲得した出場権で、同年の地決に出場、地決決勝ラウンドの成績は3位だったが、入替戦を勝ち抜いてチームを日本フットボールリーグ昇格に導く。
JFL昇格後、1年目は9位、2年目は7位に入ったもののJ2昇格圏には届かず、2011年末契約満了に伴い退任。
2012年、アルビレックス新潟ユース監督に就任。2012年5月21日、トップチームの黒崎久志監督および西ヶ谷隆之ヘッドコーチの辞任を受け、急きょトップチームのヘッドコーチ(監督代行)として暫定的に公式戦3試合の指揮を執る。
2012年6月11日、トップチームの柳下正明監督就任に伴い、ユースチームの監督に復任。
ユース監督として、同年のプリンスリーグ北信越で優勝、翌2013年のプリンスリーグ北信越では2位に入り、2年連続で高円宮杯プレミアリーグ参入戦に進出したものの、昇格はならず、ユースで川口尚紀や酒井高聖らを育てその育成力の高さを証明しました。
2014年、この年からJFLに参加するレノファ山口FC監督に就任。
初年度でJFLで4位に入り、就任1年でチームをJ3リーグ昇格、翌年にはJ3優勝・J2昇格に導きました。
クラブ初のJ2で迎えた2016年シーズンはリーグ4位の63失点を喫するも、55得点を挙げてシーズンを14勝11分17敗の12位と健闘。しかし、2017年シーズンは試合終了間際の失点や得点不足などによる成績不振(第15節終了時点で2勝4分9敗の20位)により、5月23日に退任が発表されました。
そして、2018年6年ぶりにJ2へ降格したヴァンフォーレ甲府は開幕から苦しみ、2勝5引き分け4敗の勝ち点11で16位と低迷しており、吉田達磨監督が解任されると、新監督して上野さんに白羽の矢が立ちました。
上野展裕(うえののぶひろ)の指導方法・戦術
上野さんの指導者としての実績はレノファ山口時代のJ3優勝が顕著ですね。
結果に執着する手堅いサッカーではなく、爆発的な得点力で相手をねじ伏せる超アグレッシブな攻撃サッカーを好み、レノファが優勝した年は、J3の得点ランキングのベスト3を岸田和人、福満隆貴、島屋八徳 とレノファの選手で独占しました。
チームは36試合で96得点の圧倒的スタイル。解任されたのも得点力不足での解任でしたからね。攻撃こそ、上野監督といえるでしょうね。
この攻撃サッカーは、「勝とうが負けようがまた見に来たい」って思わせる川崎フロンターレのサッカーのように観客を魅了してやみません。「魅せて勝つ」っていうのは難しいんですが、それがヴァンフォーレ甲府でできれば、面白いよなー。
攻撃的なヴァンフォーレ。見てみたい。中途半端が嫌いな上野監督のサッカーで甲府が建て直されるか?楽しみにしていたいですね。
「指導者になった今、『中途半端は嫌』と思い、選手ができるようになるまで 練習を繰り返す」
上野展裕